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단어 상세정보

錦木塚五郎 (初代)

錦木 塚五郎(にしきぎ つかごろう、生年不明 - 1821年8月26日〈文政4年7月29日〉)は、現在の岩手県花巻市(旧・陸奥国稗貫郡)大迫出身で二所ノ関部屋に所属した力士。 本名は藤原とのみ伝わっている。身長は五尺八寸(175cm)、肩幅三尺(90cm)の巨漢だった。体重は不明。 最高位は西小結。盛岡藩の抱えであった。

관련 단어

錦木塚

は楓木(かえでのき)、酸木(すのき)、かば桜、まきの木、苦木(にがき)の五種の木をひとつの束にしたもので、男が女の家の門前に錦木を立てて、家の中に招かれると女と気持ちが通じたものとする風習があった。ある日、政子姫の姿を見て心を動かされた若者は、錦木を一束姫の家の門に立てた。若者は来る日も来る日も錦木を立てたが門が開かれることはなかった。

綾錦久五郎

綾錦 久五郎(あやにしき ひさごろう、1911年12月8日 - 2003年2月24日)は、石川県羽咋郡志賀町出身で湊川部屋(入門時は振分部屋)に所属した大相撲力士。本名は土田 久二(つちだ ひさじ)。現役時代の体格は身長176cm、体重82kg。最高位は西前頭11枚目(1938年5月場所)。得意手は左四つ、下手投げ、捻り、足癖。

大錦大五郎

錦」に復名した。 1918年5月場所にて、35歳にして吉田司家から横綱免許の授与が決まり、第28代横綱へ昇進した。大坂相撲では三人目の横綱として5年・8場所に渡って土俵を務め、1922年1月場所を最後に現役を引退した。引退後は一代頭取(年寄)・大錦を襲名した後に廃業し、曾根崎新地で茶屋「京糸

高砂浦五郎 (初代)

援者らの仲介や高砂の義侠心を愛する役人たちの援助もあって調停が成立、対等合併という形で高砂らは会所に戻ることとなった。これにより江戸時代より続いた首脳部の名称も筆頭は取締、筆脇は理事、中改は勝負検査役と改称され、高砂は検査役(現在の勝負審判)に就いた。 なお2007年(平成19年)11月場所で時津

尾上菊五郎 (初代)

その後寛保元年(1741年)、大坂で二代目市川海老蔵と同座し、翌年の寛保2年には、『鳴神』で海老蔵演じる鳴神上人を相手に雲の絶間姫を演じて大評判を取る。これをきっかけに同年海老蔵と共に江戸に下り、市村座に出て女形として売り出した。その後宝暦2年(1752年)立役に転じる。しか

綾川五郎次 (初代)

と申す者に(横綱)免許を与えたが、記録は火災で失われた」と記載されていることが根拠である。 2020年現在で日本相撲協会が公認している横綱は明石志賀之助に次いで2代目とされているが、明石とともに「伝説上の横綱」と考えるのが一般的である。実在すら疑われる初代・明石志賀之助から第3代・丸山権太左衛門を

森五郎兵衞 (初代)

ごとをつくる等して首にするような商人も多くいただけに、五郎兵衛の店は奉公人にとり働きがいがある商家であった。五郎兵衛はこの様な話を聞くたびに「猾商は商界の罪人だけではなく、世間の罪人だ。奉公人は店の宝、主人の手足であり、猾商は自らの手足を切断しているようなものだ」と憤っていたことが伝えられている。

錦木

錦木(にしきぎ)は、以下のものを指す。 いわゆる奥州錦木伝説にまつわる錦木。五彩の木片の束であるとも、5種類の木の小枝を束ねたものともいわれる。 上記伝説を題材にした謡曲「錦木」。世阿弥作。 → 錦木塚#世阿弥の錦木 恋文の雅称。上記伝説にちなんだもの。また、恋文の文例集のこと。 植物の一種。みごとな紅葉を見せることからこの名がある。

茂木啓三郎 (初代)

1896年には、三代茂木房五郎が行徳沢の鶴清酒醸造場を譲り受け、啓三郎にその経営を任せ、1900年には房五郎家から行徳醤油醸造場を譲渡される(商標・誉印)。1904年に突抜井至徳泉を開鑿。そののち至徳会を設立して賛同者を集め、地元の公共事業に尽力した。渋沢栄一とともに清・朝鮮を調査し、1905年に朝鮮仁川に日本醤油株式

坂東三津五郎 (初代)

東三八の養子となり、1766年11月に養父と共に江戸に下って坂東三津五郎と改め、立役に転じ森田座で活躍。1777年には中村座に勤め、1782年には上上吉まで昇りつめるが、その年の4月10日に死去した。 容姿に優れ和事や実事、女方、武道、半道、所作事など幅広く万能な役者だった。 ウィキメディア・コモンズには、坂東三津五郎

阿木五郎

第19話「むかしの男」(1989年) - 松浦与助 第2シリーズ 第17話「春の淡雪」(1991年) 第3シリーズ 第4話「火付け船頭」(1991年) 第4シリーズ 第2話「うんぷてんぷ」(1992年) あばれ八州御用旅 第1シリーズ 最終話「白頭巾危機一髪!」(1990年、TX) - 久造 幕府お耳役檜十三郎 第9話「女郎蜘蛛の罠」(1991年、TX

小錦八十吉 (初代)

売れたという。その人気のため、東京では「小錦織」なる織物も販売された。 1883年の夏に奥州で巡業が行われ、東京の部屋から栃木県大田原市まで徒歩で向かったが、太っているので股擦れが酷く、痛くてゆっくり歩いているうちに仲間に置いて行かれた。さらに空腹を感じたものの、早朝に餅を買ったために5〜6銭の小

錦城斎一山 (初代)

初代 錦城斎 一山(1835年) - 1889年3月21日)。本名:内山 孝七。 魚屋の悴として生まれ、初代伊東潮花に入門して花林と名乗る。しかし、訥弁で才能がないとして破門を宣告されたため、二代目一龍斎貞山の門下に転じ、初代一龍斎貞吉を名乗る。1874年、二代目一龍斎貞山が夭折したため、三代目一龍

神代錦

神代 錦(かみよ にしき、1917年3月18日 - 1989年2月23日)は、元宝塚歌劇団男役で、元同劇団理事。本名は稲垣 静子(いながき しずこ)。 花組主演男役、花組・星組組長を務めた後、1989年(平成元年)在団のまま死去。 鳥取県倉吉市出身。出身校倉吉成徳学校。愛称イナちゃん、靜いちゃん、イナゴ、チャガちゃん

錦木村

錦木村(にしきぎむら)は秋田県鹿角郡にあった村。現在の鹿角市十和田錦木・十和田末広にあたる。 河川:米代川、大湯川 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、錦木村、末広村の区域をもって発足。 1915年(大正4年)12月25日 - 秋田鉄道の毛馬内駅(現末広駅・貨物駅)が開業、翌年1月5日旅客営業開始。

青木英五郎

3月 京都大学より法学博士号(旧制)を授与される 11月 判事退官し、弁護士登録(京都弁護士会)、のち大阪弁護士会に登録 『英米刑事手続における交互尋問と証言調書(制度と実際)』(司法研修所、1950年) 『証拠評価の方法-自由心証主義における論理法則および経験法則の分析』(司法研修所、1960年)

木鼠吉五郎

利吉とほか10人は往来や商家で窃盗を繰り返していた。その内の播州無宿・定蔵こと木鼠吉五郎は仲間の万吉や清七と共に旅人をよそおって遠州屋忠蔵方を訪れ、鼻紙袋とそれを収める外入(そといれ)を注文して手付金を渡しながら、他にも色々持ってこさせ品定めをするふりをして、その内の鼈甲製の櫛4枚を盗み取った。その

鈴木久五郎

相場で大当たりを演じ、彼の資産は現在の貨幣価値で500億とも1000億に達したとも噂され、1907年(明治40年)の正月は鈴久のために来たと謳われた程であった。 だが大阪株式取引所は正月開け早々から、バブルの反動がやってくる。株価は年初の775円から年末には92円まで88%暴落した。この下げ相場

木村竜五郎

木村 竜五郎(きむら りゅうごろう、木村龍五郎)は、大相撲の行司の名跡の一つ。江戸期から大正期にかけて5人が名乗ったが、現在では事実上途絶えている。 初代 襲名期間は文政13年11月 - 弘化3年12月。 2代 襲名期間は嘉永2年3月 - 嘉永6年11月。 3代 後の16代木村庄之助。襲名期間は明治4年11月